10/20:過去1年間のお話その1「休職+退職」
こんばんは、こにと申します。
今日で1週間も終わりですね。お疲れ様です。
さて、今日から3本でこの1年間を勝手に振り返っていきたいと思います。
今日振り返るのは以下の2トピック。
①昨年10月終わりに適応障害と診断され、休職。
②今年2月末に休職期間満了に伴い、自然退職。
①昨年10月終わりに適応障害と診断され、休職。
私は昨年4月から某コンサルティングファームに新卒入社しました。3ヶ月間の研修を終え、7月から初めてプロジェクトに参画したわけです。この期間にブログを開始し、7月からのプロジェクト(の愚痴に)についてぼちぼち書いていました。
その後、1つ目のプロジェクトのアサイン期間が3ヶ月だったので9月末に終了し、10月からはまた別のプロジェクトにアサインされ、全く違う内容とメンバーとのお仕事が始まりました。
ここで出会ったPM(プロジェクトマネージャー)が元凶その1となります。
ちなみにこのPMはファーム内(とくに部署内)ではなかなかの知名度の方で、昔からいわゆるパワハラ上司として名を馳せていたそうです。アサインガチャ失敗。
基本的にPJにアサインされた直後は、評価制度に則って様々な観点からの目標を設定し、PMに確認しながら認識のすり合わせをしていくところから開始するのですが、
まずこの期待値のすり合わせから挫折します。
自身が目指したいレベルとPMの求めるレベルのギャップが大きすぎる。いやいや、高いクオリティを求めるのはわかるんだが、いくらなんでも非現実的過ぎないかと。
期待値面談を行うも「目標が低すぎる。やり直し。」と言われ、ただもちろんメインの業務のキャッチアップもえげつないほど大変なので時間を見つけながら上方修正を行い、3週目くらいに再び面談を行うことになります。
先述の通りその間もメインの業務に追われておりましたが、ここでもメンタルを削られるような場面が、、、
MTGで発言を求められるのですが、その間のPMの顔よ。リアクションも含めてめちゃくちゃ人を馬鹿にしたような見下したような嘲り顔。その顔見ただけで削がれるわ。
ただ、同じ状況下でも耐えられる人は耐えられると思います。ただ僕は過敏に受け取っていた部分もあり、またPMのその反応も自分のせいでそうさせてしまっている、というふうに捉えてしまっていたことが今思えば自身のメンタルにも良くなかったなぁと思います。
そうして、再び実施された期待値面談。自分的にはそれぞれの目標を以前よりもだいぶ上げたつもりで臨みましたが、出てきた言葉は「やっぱり低すぎるんだよね。(半笑い)俺が考えてる水準で頼むわ」とのこと。もうこの頃には自己肯定感も地の底に落ちていましたね。
そうこうしている内に、徐々に体に変化が起き始めます。
まずは睡眠について。夜寝る前の、夢うつつみたいな時間があると思うんですけど(夢みてたりピクってなったり、物音ですぐ目が覚めるレベルの意識感)、そのとき必ず仕事でPMに詰められてる夢みたいなのを見て、飛び起きたあとしばらく眠れないようになりましたね。頭の中を完全に支配されてました笑
続いては吐き気ですね。これが適応障害の決め手となりました。ある日出勤(リモートですが)しようとした途端めっちゃ気持ち悪くなって何回も嘔吐く。吐くわけではないのに涙が出るほど嘔吐きまくる。最初は胃腸の調子が悪いのだと思い、有給を使って消化器内科へ。しかしとくに異常はなし。まぁ土日挟んで3連休にしたから、しっかり休めば治まるだろうと考えました。実際土日は吐き気も治まり、快適に過ごせました。しかし月曜日、出勤しようと動き出した次の瞬間再び吐き気が。しかもこないだより酷い。これはまずいと思い、もう1日お休みをいただきました。その間にいろいろ調べてみると、心療内科という単語を発見。体に異常はないから、心か、、?と思いながら、ひとまずメンタルクリニックを予約して早速向かいました。
ここから適応障害と休職についてです。
そこで症状を伝えたところあっさり「適応障害ですね。休職しましょうか。」
・・・え?休職?俺が?ナニソレ?という状態でした。まさか自分が休職することになるとは露ほどにも思っていませんでした。適応障害についての知識も、休職についての知識も全くなかったので、先生に「とりあえず1ヶ月休んでみましょう」と言われたところを「1ヶ月は長すぎるんで、ひとまず2週間でお願いします」と頼み込んで、2週間の休職が決まりました。
とはいえ、突然膨大な時間ができたのにも関わらず何をすればいいのかわからない。というか何もする気が起きない。少しずつ家でぼーっとしているうちに、たしかに心病んでるなぁと自覚するようになりました。そんな状態でが続き、あっという間に2週間が経ちました。もちろん何の回復もしていません。再度メンタルクリニックで休職期間の延長が言い渡され、今度は1ヶ月になりました。
復職までの流れは、毎月会社の産業医と面談を行い、1日、1週間の過ごし方や状態の確認をもとに、復職可否を判断する、というサイクルでした。復職の条件としては、
- 1日8時間能動的な活動(勉強や掃除、料理など)を行う
- 1を1週間、1ヶ月行う
というものがありました。ゲームや動画鑑賞などはそれらに対して受動的な活動として条件には含まれません(当たり前)。しかし、能動的な活動以前に受動的な活動もできるときとできないときがある、という状態が4ヶ月ほど続きました。その間、実家に帰ったり、彼女とデートをしてもらったり、いろいろなことをしましたが回復している実感はなく、産業医面談を通して1ヶ月ずつ休職期間を延長することになりました。
会社の規則に休職期間は3ヶ月と定められており、期間満了後は復職or退職でした。10月末から11月末の1ヶ月は有給消化やリフレッシュ休暇、メディカル休暇で補いましたので、本格的な休職扱いは11月末からでした。よって私の休職期間満了日はそこから3か月後の2月末。ただもちろん、そんな先のことまで考えることもできず、目の前の時間をぼーっと過ごすことしかできませんでした。というか、適応障害になって思ったのは、本当に思考力が終了するんですよね。コンサルなんか(どの仕事もそうですが)とくに頭を使う必要があるのにその対極にいる状態。今何をしたいのかもわからない。休職を続けるのか、退職をするのかも考えられない。適応障害の間の過ごし方を調べるも頭に入ってこない。一方でこんな過ごし方をしていいのか、自分だけ休んでいていいのか、という罪悪感みたいなものは生まれるので自分で勝手に追い打ちかけたりもしていました。
②今年2月末に休職期間満了に伴い、自然退職。
長くなりましたがここから年が明けて、退職に至るまでについてです。
2023年に入り、ひとまずできるだけ現職で復帰できるように、と考えるようになりました。というのも、適応障害とは基本的に環境起因で起こってしまうものなので、環境さえ変えれば改善するものだからです。たしかに、とくに最初期にあった吐き気は、仕事から(そのPJから)離れると治まっていきました。ここに希望を見出したわけですね。ただ、そうはいっても体は動いてくれない。というよりは復帰したい自分よりも何もしたくない自分の方が強かった。結局ほとんど動けないままラストチャンスである2月の産業医面談の日に。復帰したい意向は伝えつつも、復職の条件である能動的な活動が追いついていない状況。産業医からのOKは出ませんでした。ただ、復帰したい気持ちはあると伝えたことで、部署の人事との面談の機会をいただきました。そこで、今後どのようにしたいのかを精いっぱい伝えてきたのですが、やはり結果は変わらず。自宅で過ごしているときに1通のメールが届きました。その文面には「審議の結果、自然退職となりました」。世の中の仕組みを全く理解していなかった自分はそんな感じで退職になると思っていませんでした(復職or退職なのにね)。そもそも自然退職ってナニ?となりましたが、会社の制度から考えると3ヶ月の休職期間満了時点で復職不可能の判断が出たため、当然の結果ではありますね。こうして2月末をもって新卒入社したコンサルティングファームをわずか11ヶ月(実働ほぼ6ヶ月)で退職しました。それなりの大学を出て、ハイクラスのキャリアの入り口であるコンサルティングファームに新卒入社した私のキャリアは壮大な出オチをかますことになってしまいました。
いつのまにかこの記事の文字数も3,500字に到達しようとしています。結構重めの大学のレポートやん。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
次回は
③今年3月から実家に戻り、無職生活開始。プラス破局。
④公務員になろうと思い、勉強開始。
以上の2つのトピックをお送りします。今回の記事を書くのが1番エネルギー使ったな。もう立ち直ったとはいえ思い出すのもなかなかに辛いものがあった。でもこれを文字として書き残すことで整理もよりできると思うので、現在まで書こうと思います。
素敵な週末をお過ごしください。
といったところで、また次回。